アメリカで出会った悪友たちと4年ぶりに京都で再開した話

彼らは僕が最も成長し、最も悔しい思いをした時を共に過ごした仲間。

 

週末に京都に行ってきました。

金曜の夜に新幹線に飛び乗り、日曜の夕方に帰る。

宿泊はホステル(2泊で2600円)。

計画を立てたのは一週間前、フランス人でKOにMBA取りに来てる悪友が京都で共通の友人と遊ぶと聞いたその時でした。

ホテルの予約と移動手段の確保まで一時間といったところでしょうか。

便利な世の中です。

 

まぁ京都の観光はほどほどに、再開の喜びを分かち合い、ひたすら飲んで笑ってました。

日本人の友人の大半が働き始めている中、このフランス人は今でも学生をしている貴重な存在であったりします。

彼らと会話をしていると必然的にアメリカ留学時代を思い出すわけで。

あの時の僕は全く英語が話せないのに語学留学ではない留学をして、間違いなくその年の留学生で一番喋れない人間として過ごしていました。

周囲の学生が(勉学以外の)楽しいこと(不道徳なことって最高だよね)に精をだして、若いエネルギーを発散する様を指を咥えて見ていることしかできなかった。

毎日が屈辱の連続で、どうしてこんなところに来てしまったのだろうと想わない日はなかった。

それでも、こいつらを筆頭とする友人の心優しさに救われてなんとか生き延びることができました。

この恩は一生忘れないと思います。

何があっても友人でいよう。

そう強く思いました。

 

こんなふざけた日記ブログにえらい真面目でおセンチな文章を書いてしまい、自分でも困惑しています。

本当に書きたかったのは、彼らと笑ってまた会えるように、俺は元気でやっているんだと知ってもらえるように、研究成果をできるだけ派手に産み出したいなと思ったってことです。

日頃は「まぁ生きていければいいや」と踏ん張らず、柳のように生きていこうなどと思っていることが多いけど、珍しく火がついてしまいました。

成果にとらわれると、結果が出ない時にメンタルが痛みやすいけれど 。

成果には運が絡んでいることをよく理解できている今の私に必要なのは、ただがむしゃらにやることなのかなぁ。

そう思うようになりました。

 

やっぱり持つべきものは悪友。

俺やお前らがアメリカでした情けない失敗、掻いた恥全部笑って、また旨い酒をやりましょう。